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江の島はミステリー

5月27日に江ノ島にアモトの仲間達と行ってきました。


江の島は龍のすむ所と言われ、古来より龍神は弁財天信仰と習合し、密接な結びつきから江島縁起を始め多くの伝説が残っています。


「太平記」には時の執権、北条時政が江の島に参拝し、子孫の繁栄を祈った時に、龍(大蛇)が現れ、三つの鱗を落とし、時政祈願成就とよろこび、その三鱗を授かり家紋となしました。


また、北条貞時が悪夢を見、龍池に赴くと金銅の龍頭を見た話。

「足利治乱記」には海に夜毎光ありて白龍が海中から出て、島石穴に飛入るを諸人がみた話。


謡曲「江ノ島」には天女が龍神と姿を現じて、七難即滅七福即生悪事災難を払ひて諸願成就を宣うと伝説は残されており、岩屋洞窟の真上に御鎮座となった話。


ご祭神は、江島神社は天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)と誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。

・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと) ・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと) ・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)

この三女神を江島大神と称しています。古くは江島明神(えのしまみょうじん)

と呼ばれていましたが、仏教との習合によって、弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるに至り、 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれています。



まずは市指定文化財の「青銅の鳥居」がお出迎え。


こちらでアモトの仲間達と待ち合わせ致しました。

この青銅は、龍体文字で書かれており、龍の模様が周りにあります。

この周りはフリーエネルギーだったのでは無いか?と思う、青銅のポールがあったり、ドラゴン模様の電灯があったりして、何故か全文明の面影が残っていたりするので、行かれる方は探してみてくださいね。



「仲見世通り」の真ん中ら辺に、岩本桜本館と言うホテルがあります。その中に、江島神社のご祭神・弁財天をお祀りした、国内でも非常に珍しい洞窟のお風呂があります。私達アモトの仲間は、この中に入っていないのですが、とても珍しいので、少し説明致します。



弁天堂として使われていた洞窟を生かして作られ、奥行は約20mあり、ローマ風呂とはまた異なった神秘的な雰囲気で、孔雀のステンドグラスがあります。2001年に国登録有形文化財に登録されています。


何故こんな所に?洋風な建物やステンドグラス? 全文明を彷彿させます。まるで、タルタリア時代⁇

いつかはこのホテルに泊まってみたいものです。




「仲見世通り」が終わると、今度は色鮮やかな「朱の鳥居」が現れます。白い建物の「瑞心門」が壮大に建っています。神仏習合です。








こちらが田寸津比賣命を祀る「辺津宮」。1206年、源実朝によって創建されたと伝わっています。





参拝の前にこの輪を潜ることで、罪や穢れをお祓いし、心身を清らかにしてくれるとのこと。アモトの仲間達も茅の輪くぐり致しました。



江島神社のシンボル「弁天様」をお祀りする奉安殿



左:妙音弁財天  右:八臂弁財天


神奈川県の重要文化財に指定されている「八臂弁財天」と、藤沢市の重要文化財に指定されている「妙音弁財天」。

八臂弁財天は八本の手に武器などを持つ勝運守護の神としての姿で、妙音弁財天は琵琶を持つ芸能の神としての姿である。妙音弁財天は全裸で、女性の美しさを表現しています。

世にいわれる「日本三大弁財天」とは、

安芸の宮島、

近江の竹生島、

江の島の弁財天のことです。


ホツマツタエでは 

広島県 厳島神社のイチキシマヒメ タナコ

滋賀県 竹生島のオキツシマヒメ タケコ

神奈川県 江ノ島のエツノシマヒメ タキコ

と言われています。


奉安殿には天井には龍がいます。

後、古い白蛇の石がありますので、よく見てください。


江島神社の社紋


江島神社の社紋は、北条家の家紋「三枚の鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「向い波の中の三つの鱗」を表現しています。

※『太平記』によれば、建久三年(1190年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられている。



奉安殿の先には、辺津宮のご神木があり、一つの根から二本の幹が広がっていることから「むすびの樹」と呼ばれ、良縁を招くとされている。

そのため「むすびの樹」のまわりには、良縁成就を願ったピンク色の「むすび絵馬」が多く掛けられています。



奉安殿の隣にある「八坂神社」は江島神社の末社にあたる。御祭祀はスサノオです。



鮮明な朱色の社殿「中津宮」(中津宮~江ノ島頂上部)

市寸島比賣命を祀る「中津宮」。 続く中津宮は、9世紀に慈覚大師円仁が創建したとされ、弁才天と同一視される市杵島姫命が祀られています。



水琴窟

水を穴に入れると綺麗な音がなりました。


江の島の頂上に行くと、今度は西洋になります。

庭園「サムエル・コッキング苑」に入りました。



そこの庭園の中は、闇深い歴史があると感じる場所があります。



ここは個人で行って地下に入って見てきてください。悲しい歴史です。

薔薇が綺麗に咲いていましたが、

薔薇には…

何故か暗い話にここではなってしまいます。


気分を変えて、

その後に行った、

苑内にそびえ立つ、高さ59.8m、海抜119.6mの江の島シーキャンドル(展望灯台)




南に大島、西に富士山、東に三浦半島が広がる頂上からの景色は素晴らしかったです。天気も良く、気持ちの良い風が吹いていて、しばらく座ってゆっくりしていました。



江ノ島大師



外側の建物はギリシャのパルテノン神殿を思わせるコリント式の柱の並びが目につきます。(国会議事堂にも使われている柱の形です)ここは寺院なの?何故か?不自然です。


中に入ると、またまた暗い場所…




「高野山真言宗最福寺」の別院として、平成5年(1993年)に創建されました。

天井がドーム状の石造りの本堂は、一見すると寺院だと気づかない近代的なつくりをしています。中にステンドグラスがあります。

江の島大師のご本尊は、「不動明王」。

室内にある仏像としては国内最大級で、高さはなんと6mもあります。

また、赤い色をしているため「赤不動」と呼ばれています。



子供を供養している童子が沢山ありました。





山頂部から「奥津宮」までの道中には「山二つ」が現れ、江の島を二分する境目であることからその名が付き、海岸浸食によって岩肌

が崩落したことで生まれたそうです。

やはり江ノ島自体が、大きな化石化した木にしか見えない感じです。


ちなみに「サムエル・コッキング苑」から下りてくる階段の横には、赤茶色の関東ローム層があり、これは箱根・富士山の火山灰が堆積したものだそうです。


海を守る神様が祀られた「奥津宮」(奥津宮~稚児ヶ淵) 

そして、こちらが三姉妹の一番上の姉神・多紀理比賣命を祀る「奥津宮」。多紀理比賣命は三女神の中の長女で、海を守る女神と言われています。



拝殿の天井に描かれた「八方睨みの亀」とも常に目があってしまうので、不思議です。

江戸時代の画家・酒井抱一が描いた「八方睨みの亀」の天井画を展示。どこから見てもこちらを睨んでいるように見える不思議な絵画となっています。







龍宮(わだつみのみや)





実はここからが江の島の核心部で、

海を守る神様として信仰されており、右手の燈籠には竜宮の乙姫、左側の燈籠には亀に乗った浦島太郎がいます。

ここは龍が潜んでいた場所だと言われています。龍宮に奉られているご祭神は、龍王大神様。

江島神社に奉られた三姉妹の弁天様(奥津宮の多紀理比賣命さん?)に一目ぼれした様です。詳しい話は

『江ノ島縁起』江島神社公式漫画「五頭龍と天女様(弁天様)」を見てください。



こちらは裏側、裏側には六角形の岩があったり、海側に出る道がありますが、龍が海から飛んできたか?海から上がってきたか?その様な道(龍道)がありますので、見てください。


この龍宮の鳥居近くに八王子と彫られている灯籠を是非探してみてください。なかなか、八王子と言うのが彫られている灯籠はありません。トホカミエヒタメは八王子と言われていますが、ホツマツタエ文献にしか出てきませんからね!


稚児ヶ淵~江の島弁天橋




「奥津宮」から「稚児ヶ淵」に行く道中には、松尾芭蕉の句碑や服部南郭の詩碑が建てられています。松尾芭蕉は常に古代の重要な場所で、俳句を残しています。よくよく色々な歴史を知っていたのではないかと思います。




島の西南端にある「稚児ヶ淵」。

なんとも悲しい場所の気がしてなりません。

何故、稚児ヶ淵と言う名前をつけたのでしょうか?

この岩場は関東大震災の時に隆起現象によって生まれたと言われています。













島の最奥部にある海食洞窟。古くは弘法大師や日蓮上人も修行したといわれ、江の島信仰発祥の地として崇められてきました。養和2年(1182)には源頼朝が奥州藤原秀衡征伐を祈願したとも伝えられています。奥行152mで富士山の氷穴に通じているといわれる第1岩屋と56mで龍神伝説の地といわれる第2岩屋があります。


洞内はひんやり。江の島信仰発祥の地と崇められる「江の島岩屋」は、長い年月をかけ波で浸食された海食洞窟。第一岩屋と第二岩屋のふたつからなります。






富士山の氷穴につながっているといわれています。


先程龍宮で少し触れましたが、江ノ島を語るには欠かせない「龍神伝説」をご紹介します。

島が誕生する前から「五頭龍」という龍が棲みつき、悪さを繰り返して人々を苦しませていたそうです。海底が爆発し、江ノ島が誕生すると空から天女が舞い降ります。天女に惹かれた龍は結婚を申し込みますが、素行の悪さから天女は申し入れを拒否。

その後、龍は改心して善行を尽くしたことから、天女と結婚することができました。天女は江島神社に、龍は龍口明神に祀られています。


江ノ島の伝説

(The Legend of Enoshima)


昔むかし、鎌倉の深沢という場所にある底なし沼に五つの頭をもつ悪い龍が住みつき、村人を苦しめていました。

この龍に子供を生贄として取られることから、人々はこの

こしごえ

地を「子死越」と呼び、恐れられていました。


ある時、子死越南方の海上に密雲が何日にもわたってたれこめましたが、天地が激しく揺れ動いた後、天女が現れ、雲が晴れると今まで何もなかった海上に一つの島ができていました。

これが現在の江の島とか。天女の美しさに魅せられた五頭

龍は、結婚を申し込むのですが、悪行が止むまではと断られてしまいました。その後、龍は心を改め、結婚することができたと言われています。

この伝説の天女が、江の島に祀られている弁財天といわれ、

りゅうこうみょうじんじゃ

五頭龍が龍口明神社として鎌倉市腰越に祀られています。




神伝說 end of Dragon God


北条時政と龍神伝説

北条時政は鎌倉幕府の初め、江の島に三十五日間参籠して、子孫の繁栄を祈願したといわれている。そして満願の夜に、赤い袴に柳裏の衣を着けた端厳美麗な女房が、怒然として時政の前に現れて「次が前世は箱根法師である。六十六部の法華経を書写して、それを六十六箇国の霊地に奉納した善根によって、再びこの地に生を得たのであるから、次の子孫は、末永く日本の主となって栄華を誇るがよろしい。但し、その挙動が政道に違うようなところがあれば、七代を過ぎずして滅びるだろう」と言い捨てて帰っていった。その姿を見やると、端麗であった女房は、忽ち二十丈ばかりの大蛇(龍)となって海中に入ってしまった。その跡を見ると、大きな鮮が三つ落ちていたが、時政は、祈願成就をよろこび、三鱗をもって旗印の紋とした。いま北条氏が七代を過ぎて、なお栄えているのは、過去の善

因のためであるとして、江の島信仰の功徳をたたえている。

「太平記」五巻より



江ノ島は 歴史が古いだけに、色々な歴史が入り乱れています。

龍の話が中心ですが、良い龍・悪い龍がいたのでは無いか?と思わせられる場所であります。

全てが詰まっている江ノ島…まだまだ謎が多く、答えが出ない不思議な場所だなぁと思います。江ノ島の真実が知りたいです。


そんな不思議な江ノ島をアモトの仲間達で行けた事が良かったです。

ご参加してくれた方、改めてありがとうございました。

またミステリーな探検をしたいと思います。

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