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3月21日(天赦日・寅の日・一粒万倍日)のレイライン

春分の日、寒川神社、富士山、元伊勢神社、伯耆大山、出雲大社が存在する北緯35度線 レイライン上にある最東の場所、

上総一ノ宮玉前神社に参拝してきました。



御祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと) です。

古事記・日本書紀では 海神・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の妹となる神様です。

夫である日子火火出見命(ひこほほでみのみこと)との子供である、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を出産した豊玉姫命は、妹の玉依姫命子に乳母役を託して海へ去っていきました。玉依姫命は赤ちゃんを守り育て、乳母神様となった後、子の父である日子火火出見命と夫婦になったと言われています。


ホツマツタエ文献ではトヨタマヒメの内容が玉前神社の由来の物語と似ています。

しかし御祭祀はタマヨリヒメになっていることが私の中では違和感がありました。

トヨタマヒメは山幸彦と言われるホオデミと結婚し、ウガヤフキアワセズを産みます。ウガヤフキアワセズと結婚したのが、タマヨリヒメです。

トヨタマヒメの妹がオトタマヒメで、タマヨリヒメではありません。

タマヨリヒメは京都の上賀茂神社とゆかりが強い方で、神武天皇を産んだ方です。

姫たちの名前が似ていてややこしいですが、話が少し違うので、混乱してしまいますね。


トヨタマヒメとホオデミの物語がこの神社には残っています。昔話で聞いた浦島太郎伝説の元にもなっていたり、鶴の恩返しの物語も入った様な内容もあります。


絵本「玉前さまものがたり」

こちらを参照

いよいよ玉前神社の境内を参拝します。まずは大きな鳥居を抜けると、水琴窟が右手側にあります。三箇所、石が沢山積まれた場所の近くで耳を澄ませると水が瓶に落ちる雫の音が聞こえます。とても綺麗な音色です。

その隣には水取りスポットがあり、鉄分の多いお水を賜れます。少し口をつけて飲みましたが、鉄の味でした。


それから第二鳥居をくぐると、社殿の下の赤い鳥居の左にある子宝・子授けイチョウがあり、子供が欲しい方は

雄株→雌株→子供イチョウ の順に触れて

子宝に恵まれるよう お祈りしてください。

鎌倉から源頼朝と結婚された北条政子も安産祈願に訪れたことのある神社だそうです。




イチョウの木の前には

国歌にも出てくる、多くの神社で見られる「さざれ石」がありました。


そして本殿ですが、

この本殿は江戸時代中期(1687年)に建てられたものです。黒色に金と赤が美しいコントラストを呈していました。御祭神は、神武天皇の母神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)になっている女神なのですが、黒塗りと言うのは珍しいです。基本女神は赤の朱の色なんですが…。


入母屋造りに唐破風(からはふとは、日本の城郭建築などにみられる頭部に丸みをつけて造形したは破風と言われ日本特有の建築技法である。)が使われていました。







唐破風下、中央に老夫婦神?の彫刻がありました。私はトヨタマヒメとホオデミだと思いました。


本殿の左側には、「はだしの道」があります。裸足になり、1周廻ると無垢となり、2周廻って気合を入れて、3周廻れば気を満たすのだそうです。

私は4周して気を満たしました。

痛みに耐えつつゆっくり歩いている方が多かったです。最初は痛いのですが、3周廻り切る頃には血液の循環が良くなるのか、体がポカポカしてきます。その後はずっと足が温かく気持ちが良くて、足が軽やかになりました。


境内には、千葉県の木であるイヌマキが群生していて、樹齢300年のものもあるのだそうです。また御神木のイスの木は、別名で「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれています。

とても良い香りが突然してきました。




後はこの地出身の英霊を祭る招魂社がありました。外削ぎの社でしたので男性が祀られているのだと思いますが、

元は誰がいらっしゃっていたのかな?と少し疑問が残りました。


後は三峯神社や稲荷神社がありました。

その横には結界を張られたスペースがあったのですが、アモトメンバーさんが、何かを感じていらっしゃる様子でした。地下がある?のでは⁉とか言っておられました。


最後は3月21日 春分の日の限定の御朱印を

皆様にお渡しいたしました。

結構な人が訪れていましたが、桜も咲いていて、穏やかな気の玉前神社でした。


次に行ったのは

今から千七百年余前、印旛国造(当時の大和朝廷の地方長官)であった伊都許利命(イツコリノミコト)が、現在の地に麻賀多神社大神として崇め、以降近隣の麻賀多十八社の本宮として地元の鎮守様となっている麻賀多神社に参りました。




石碑の内容の要約↓

その昔、日本武尊東征の折、この地方の五穀のみのりが悪いのを知り、里人を集め大木の裏に鏡を掛け、その根本に7つの玉を埋め伊勢神宮に祈願したところ、その後は豊作が続きました。

3世紀の頃、印旛国造伊都許利命はこの鏡を霊代として祀った。

稚日霊命の霊示を受け玉を掘り起こし御霊代として稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り麻賀真の大神と崇め八代神津の両郷を神領として奉斎しました。その後推古天皇(608年)新たに宮居をこの土地に建て麻賀多の大宮と名付けました。

本地御鎮座以来1千3百6十余年、印旛郡下十八麻賀多の総社として、筒粥祭、御田植祭、豊年神楽などの古い儀式が継承されご祭神にゆかりのある古い地名も現存しています。産業・開運・長寿・厄除けの守護神として崇められています。(昭和49年)



と書かれています。稚日霊命と言うのは、この世に隠されている天照大神のお姉様のワカヒメ様で稚産霊命(伊勢外宮の親神)はトヨウケ様です。

そのほかに天照大神の内后のセオリツヒメや

ツクヨミの息子イブキドヌシなどが実際には板に書かれていました。

とても古い神様方がいらっしゃっています。


また、境内左奥には樹齢千三百有余年を誇る東日本一の大杉があり、エネルギーが強い場所でした。

この木が素晴らしすぎて、ずっとここにいたい気持ちでした。




今回は春分の日(2023年3月21日)でとても良い日で、レイライン北緯35度線の一番東の端の玉前神社、麻賀多神社に行きました。本当に素晴らしい旅で、ここから何かが変わる気がした大きな転換期の旅でした。(ちなみにWBC侍ジャパン日本優勝は次の日に起こりました。2023年3月22日)

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